SEASON2

STORY #5

#5 RACE

鈴ヶ森いこのには愁雨降り次ぐ…

  • 栗早家鷹
  • やとみ

1学期の期末試験も終わったころ、梅雨も明けたというのにしばらく雨が降り続く日が続いている。

地区大会まで一か月を切り、ボートレース部も練習に励みたいところだったが、雨で視界も悪いため、校舎内のトレーニングルームで基礎トレーニングを続けていた。

ただし、部活に出ているのは3人。

こむぎ、ふたば、ナツは期末試験の結果が芳しくなく補習の刑を受けているのだ。しかも、追試に受からなければ、さらに補習という無限地獄のループが待っている。

「まったく、こんな大事な時に補習なんて。こむぎ達は何してるんだ」

「困りましたね、地区大会も近いのに」

筋トレを続けながら、とあといこのがぼやく。

「でも、けやきさんは、勉強もできるんですね。今回の期末試験1年生学年トップなんて」

「あれくらい簡単」

少し離れた場所にあるランニングマシーンの上で短い言葉で返事をするけやき。その様子を見て、いこのの顔に影が差す。

「どうした?いこの」

「いえ…けやきさんが入部して3か月経つのに、まだ部に馴染めていないような気がして…」

とあが、返す言葉を探しているとトレーニングルームのドアが突然開き、皺くちゃの白衣を着た風守が立っていた。

「お、今日も3人か。補習組は大変だねえ」

「先生、ノックくらいしてください!」

風守のデリカシーのない行為を口をとがらせながらとあが咎める。

「使用時間、終わりですか?」

いこのは風守の意図を察したようだ。

「そうゆうこと。陸上部がうるさいから、早く撤収してね。」

そそくさと帰り支度を済ませ、トレーニングルームをあとにする3人。

3人の様子を確認した風守は、陸上部の顧問にトレーニングルームを明け渡すと理科準備室に向かう。

雨が降る外の景色に比例して薄暗い廊下を歩いていると風守を呼び止める声が響いた。

「先生、ご相談があります」

そこには、スクールバッグを肩にかけたいこのが佇んでいた。

校舎の一番端にある理科準備室は、外の天候も相まって、いつも以上に湿気が多く感じられた。生物標本や化石が並ぶ理科準備室には、かすかにホルマリンの匂いが充満している。今はその中にコーヒーの匂いも混ざっていた。いこのを丸椅子に座らせ風守が訪ねる。

「ミルクと砂糖いる?」

「大丈夫です。それより少し換気しませんか?」

風守は黙って換気扇を回し、教科書や標本が雑然と並ぶ準備机にもたれながら本題を問いただした。

「で、相談とやらは?この前、お前らに飯を奢ったお陰でこの数日、昼飯はコーヒーだけなんだ…。早く帰って夕飯食べたいんだけど。だいたい他にちゃんとした先生いるでしょ」

「ボートレース部の顧問は先生しかいません」

風守の御託を無視して、いこのが答える。風守は無言で目線を合わせ、話すよう促すといこのは、ゆっくりと語りだした。

いこのの相談とは、けやきの事だった。ボートレース部の大会はある意味チーム戦で簡単に言えば、着位によって各校の得点が決まり、その合計点が一番高い学校が優勝となる。そのような大会の特性から団結力がなければ優勝できないといこのは感じていた。そんな中、けやきが入部して三か月、まだ部員との距離が縮まっていなかった。

「要は大國を部に馴染めるようにしたいってことか」

「はい…。部として信頼関係を築けなければ優勝は難しいと思ってます」

いこのは、俯きながら返事をする。その様子を伺い風守は眼鏡をかけながら話を続けた。

「それってかなりリスキーなんじゃないか?」

「え?」

いこのは、そんな風守の返答を想定しておらず、思わず言葉を詰まらせる。

「大國が転入してきた経緯は俺も知ってる。今のあいつがお前らと必要以上に関わらないのは、ボートレーサーとして天才と呼ばれ、他の生徒からは反感を買ったからだ。持たざる者は持つ者を妬むからな」

風守は淡々と無表情で続けた。

「人は理解できないことを一番恐れるんだ。あいつは、天才的な腕を持つことで、周囲から理解されなかった。周りの人間は、理解できないからあいつから距離をとる。中には攻撃する奴もいただろうな」

俯きながら沈黙を続けるいこの。その表情はうかがい知れない。

「お前は、孤立する事を問題視してるらしいが、孤立することが問題なんじゃない。問題なのは周囲の悪意によって孤立させられることだ。今のお前らに悪意がなかったとしてもそんな環境に何年も晒されたあいつが簡単に信じると思うか?あいつの心を開かせるためには、あいつが封印してる忌まわしい記憶も呼び起こすことになるんだ。下手な手を打てば、お前らがあいつに最悪な記憶を一つ増やすことにもなるんだぜ。それに優勝するだけなら、今のあいつに合わせて、地区大会に臨んだ方がいいんじゃないか?大國ほどじゃなくても他の部員だってそれなりに戦える実力はついてきてるだろ」

外は雨脚が強くなり、雨雲に覆い隠された太陽も地平線に沈んだのだろう。7月の夕刻だというのに闇が辺りを支配しつつあった。窓を叩く雨音だけが理科準備室に響いている。

「…まるで…」

沈黙を破ったのは、俯いたいこのだった。

「まるで、ご自身のことのようにお話しされるんですね」

さっきまで無表情だった風守の口元が歪む。

「…やっぱ、女って怖いな」

「そういう人間観をお持ちなんですね…。先生のお話は理解できます。私も鈴ヶ森の娘というだけで、色々言われてきました」

「だったら…」

俯いていた顔を上げ、風守の言葉をいこのが遮った。その頬には一筋の涙がつたっている。

「私はとあさんやふたばさん、立花先生に出会って考えが変わりました。ボートレースを心から楽しめるようになったんです!人がそんな愚かな存在だとは思いません!それに私には、けやきさんを学園に引き入れた責任があります!けやきさんにもボートレースを純粋に楽しんでほしいんです!」

言葉を遮られた風守は、無表情でいこのの顔を見つめていた。そして、眼鏡を外し返事を返す。その眼は少し哀しみの色が滲んでいるようだ。

「人は理解しあえない。なぜなら人の気持ちを理解することは絶対にできないからな」

「思いやることはできます。私は、バツの悪いことを無視せず、誰かを救える人間になりたい…。」

大きなため息をつく風守。

「『思いやりという暴力』って言葉を俺は聞いたことがあるけどな。…まあ、そこまで言うなら俺は止めねえよ。だがな、一つ確かなことがある。あいつは、15年ちょっとで人の汚い部分をたくさん見てきてるんだ。洞察力はお前らの比じゃない。それに勘もいい。少しでもお前が自我を出したらただの押し付けに感じて、お前の思いやりは届かないぜ」

頬を濡らした涙を手で拭いながらいこのが答える。

「そうですね。ありのままのけやきさんを受け止めるつもりです。部長として人として」

また一つ風守は大きなため息をついた。

「で、話は終わりか?これでお前の相談は解決したのか?」

「はい。けやきさんに向き合う決心がつきました」

静かに、それでいてどこか力強さを感じさせる返事だった。

「単純な思考だな。」

「先生、知ってますか?女性が相談するときは大体答えが決まってるんですよ。」

風守は、苦虫を嚙み潰したような顔でいこのを見返す。対するいこのの顔には笑顔が戻っていた。

「うふふ。今日は帰ります。ありがとうございました。これからけやきさんにどうやってお話しするか考えます。」

帰り支度を済ませたいこのは、理科準備室の扉で振り返る。

「私、今の先生は嫌いです。先生って、ほんと性格悪いですね。」

「そうですか。性格だけじゃなく色々悪いよ。」

「でも、他の先生よりも私たちのことを正しく見ようとしてる気がします。少しネガティブに捉えすぎな気もしますけど。それじゃさよなら」

いたずらっ子のような笑みを浮かべながらいこのは去っていった。

「そりゃどうも。俺は間違えてばかりだけどな…」

気づけば、先ほどまで理科準備室の窓を叩いていた雨音は静まり始めていた。

鈴ヶ森いこのには愁雨降り次ぐ…

STORY

小説家

栗早家鷹

代表作

???

ILLUSTRATION

イラストレーター

やとみ

やとみ

代表作

『ココを異世界とする!』作画 (KADOKAWA)
『異世界で怠惰な田舎ライフ。』1~5巻挿絵(アルファポリス)
『Guardess in Eden』キャラクターデザイン (バンダイ)